森広隆38歳、目標を持ちました
僕は初めて目標を持ちました。
3年後に日比谷野外音楽堂でワンマンライブをして、3000人のお客さんで会場をいっぱいにするという目標です。

僕はこの文を口語調で書き始めてしまいました。とても長い話だし、今さら丁寧語に直すと本音で書いた文の感じが変わってしまうので、このまま載せちゃいます。失礼な口調であることをお許しください。



2013年10月20日、僕が主催するジャムセッション・ライブイベント"JAM ADDICT"にアンジェラ・アキさん(以下、親愛を込めてアンジーと呼ぶね)が出演してくれたんだけど、そのリハーサルの合間に、アンジーといろんな話をしたんだ。

アンジーが武道館でライブをするという夢を持った経緯、どれほどの覚悟でそれを目指してきたのか、日々をどう過ごしてきたのか。

あの話はアンジーがいつか本にでもしてくれないかなって思うくらい良い話で、僕の解釈で間違って伝わるのは本意じゃないからここでは詳しく書かないけど、僕にはすごく新鮮だったし、心を動かされたんだ。
アンジーは自分の夢を詳細に紙に書いて、毎日それを見て、「夢に近づくための今日の目標」を一日一日乗り越えてきたんだって。


僕はずっとね、音楽は大好きだけど、これを仕事にするのは僕には向いてないんじゃないかって思ってた。わりと最近まで。

僕は「こっちにもっといい音があるよ」っていう、どこからか呼ばれてるような、そんな声のほうにただ向かってただけだった。過去の天才たちが切り拓いた道、眩暈がするくらい美しい旋律、和音、グルーヴ。僕がそれを後から辿って行くと、道が途切れてるところに来る。音楽の宇宙はまだ向こうにひろがっている。そこに行きたい。一歩でもそこを歩きたい。そんな風に思ってやってきた。音符やリズムの銀河に釣り糸を垂れて、何かが釣れた時は部屋でひとりで大喜びしてた。ドラマーの友達と一緒にMTR(マルチトラックレコーダー・音楽機材)で出来たばっかりのデモを何回も聴いて二人で喜んでた。

お金がないといろいろ不自由だし、無名なせいで惨めな扱いを受けることもあったけど、それでも音楽をやっていられれば大体は幸せだった。
そう、大体は。

幸運にもメジャーデビューする機会があった。
今となってはすごく良い経験をさせてもらえたなって思うんだけど、当時の僕はとにかく自分には向いてないって感じてた。
レーベルには良くしてくれる人も、応援してくれてる人もいたんだよ。それでも、世の中が損得で動いてるってことにショックを受けた。そこは僕にとって初めての「社会」だったんだ。

僕はプロモーションが苦手だったし、イヤでしょうがなかった。
ルックス、トークの面白さ、ファッション性、コミュニケーション能力(政治力)、そんなことで比較されて値踏みされるのが苦痛だった。スターになりたいんじゃなくて、ただもっと自由に音楽ができると思ってそこに行ったんだ。CDのジャケットに自分の写真を載せるのも、プロモーションビデオを撮るのさえも嫌がった。
今はそれをイヤだとは思わないけど、本当はジャケやPVがイヤなんじゃなくて、誰かの中にある「男性シンガーソングライター像」を押しつけられてるように感じたんだ。そんなことで売れたって、どこか嘘をついているような、それじゃ僕の音楽家としての部分が無視されているような、そんな感じ方をしてしまっていた。誰かが僕のことを売ろうと考えてくれても、僕はそれに興味を持つどころか、拒絶さえしていたんだ。

僕の音楽も、話すことも、見た目や仕種、表情も性格も、ぜんぶ僕というひとつの点から発せられるものだから、冷静に考えれば、僕の音楽とキャラクターを別々に受け取るほうが不自然なんだって今ではわかる。
それに、音楽だろうがキャラクターだろうが、その人の全存在を使って作り上げたエンターテインメントが、誰かの日常のブルースを昇華してくれるとしたら、それが素晴らしいことだっていうのもわかる。時にそれは、人の命を救うことさえある。

だけどそもそも僕は、自分がエンターテインメントをするような立場にいるとは思っていなかった。エンターテインメントのことを、コマーシャリズムと同じようなものだと思っていた。
ただ音楽がやりたいだけだった。
それに僕は自分のことを、音楽を除いてしまえばとても人に見せられないような恥ずかしいモノだと思っていた。だから負けるのがわかってるような比較にさらされることから逃げていたんだ。

レーベルに直接僕を誘ってくれてA&Rとして僕を担当した品田さんとは、一番ちゃんとした会話ができていた。むしろ僕と会話ができてたぶん、会社との間に挟まれてさぞ大変だったろうと思う。CDのジャケットに顔写真を載せるかどうかで大ゲンカしたりしたけど、いつも僕のことを一番真剣に考えてくれてたのは品田さんだった。
あの時は僕が売れなかったせいで、品田さんと僕は違う部署になってしまった。

最近僕は自分のほうから、品田さんにスタッフをやってほしいってお願いして、今は念願が叶っていろいろと手伝ってもらってるんだけどね。

あのころ作品づくりはいつも僕にとって、”面白い発想をありきたりなモノにすり変えられないための戦い”だったよ。僕はそこだけはとても頑固だったから、リリースした作品については納得してるけど、その戦いこそが、あの時期僕が一番労力を注いだ事だった。「並立概念なんて小難しいタイトルじゃ売れない」とか、「歌詞がわかりづらいからとりあえずラブソングを多くしろ」とか、そういう「作品としての必然性のない意見」と戦うの。あれはひどく疲れた。
そのうち困った出来事があったりして、どれもこれもインチキに見えてきちゃってさ。全部イヤになって、辞めたいって言ったんだ。
もう俗な価値観で僕の音楽の事をとやかく言われたくない。これまでも、これからもやりたい音楽しかやりたくない、ってね。
フジパシフィック音楽出版の上阪さんはいつも僕に一番厳しい人だった。普段は「メジャー業界で自由に作りたいなんて、そんなの王様にでもならない限りムリだ」って言ってたその人が、「じゃあ次の森君のやりたい音楽、どんなもんか作ってみせてよ」って言ってくれた。だから、そこだけは関係を続けさせてもらってるんだ。ずいぶん時間がかかったけど、その言葉があったから後になってアルバム「planetblue」を作ることができた。
上阪さんには今でも感謝してもし尽くせないな。

その後も一度、ライブがらみで最低な出来事があって、音楽を商売にすることに心底うんざりした僕は、長い間なんにもできないまま過ごしてた。

TVでたまたまスガシカオさんが「サヨナラホームラン」を歌ってたんだ。
そういえば僕が事務所とレーベルを辞めた時、さりげなく「元気?」ってメールくれたなーって思いながらぼーっと眺めてた。

 ♪”おれ、この先、どうしよう…” 誰かが打ったツーランホームラン

僕は普段、曲をグルーヴやコードから聴くほうなんだけど、あの時は言葉がどんどん僕の心に入ってきて、涙が止まらなかったな。

たまにさ、アバンギャルドな要素を持った音楽で商売も成立させてるすごい音楽家がいるけど、どれだけタフなんだろうって思ったよ。スガさんはどんな思いをしながら、ファンクを貫いてきたんだろう。山下達郎さんとか、もうね、あんな音楽の化身みたいな人が、どういう気持ちで業界の中で生きてきたのかな。僕の精神じゃとてもムリだ。
そんなこと思いながら、商売とは関係なく、音楽そのものはゆっくり続けてたんだ。それは僕にとって、呼吸みたいなものだからね。またこれを仕事にして良いものか、ずっと迷ったりしながら、すごく時間がかかったけど、やっとの思いで「英雄の誕生」をリリースして、それから少しずつ自分の音楽性を護ることを第一に、活動の範囲をゆっくり広げていった。

最初はもう警戒心の塊みたいになってた。無償で手伝ってあげるなんて言われても、本当に信頼できる人じゃないと関わりを持たなかった。上阪さんには相談に乗ってもらったりしながら、はじめは一人で、途中からはヨシナオくんと二人で、たまに他の友達にも手伝ってもらったりしながらできる範囲でライブをやってた。それからライブのことをディスクガレージのスタッフが支えてくれるようになって、品田さんが力を貸してくれるようになって、やっと今くらいの活動ができるまでになったんだ。
そんな、信頼できるスタッフと、ずっと一緒に音を出してくれてたミュージシャン、そして待ってくれていたお客さんがいたから、アルバム「いいんです」が出来た。
そういえば、アルバム「いいんです」の仮タイトルは「幸福な無名時代」だったな。
少し気持ちにゆとりができた僕は、もっと「音で遊ぶ」ようなライブをいろんな人とできたら楽しいだろうな、なんて考えてた。


そして、アンジーに出逢った。

アンジーはね、目を輝かせながら何のためらいもなく「夢」っていう言葉を使うんだ。怖くてなかなかそんな言葉使わないよね普通。久しぶりに聞いたよ。
いろんな人が成功について話をするとき、僕にはそれが、贅沢したいチヤホヤされたいって言ってるように聞こえたけど、アンジーの話は何故だか全然そういう風には聞こえなかった。
ひとつには、アンジーの音楽がミュージシャン目線で見て素晴らしかったからというのもあるけど(僕は「Final Destination」や「Santa Fe'」が好きで、そらで歌えるくらい何度も聴いた)、後でアンジーの「新しい夢」のことを知って、その理由がよくわかったよ。
だってアンジーはいくらだって贅沢できるだろうし、どこに行ってもきっとチヤホヤされるでしょ。なのにまた、もっと大きな夢に向かい始めた。
アンジーは最初から、ほとんどお客さんがいないバーで歌ってたときから、贅沢もチヤホヤもどうでもよかったんだ。きっと無条件にただ「武道館で歌いたい」って思っただけなんじゃないかな。

こんな人も現実にいるんだなって、驚いたよ。


そして僕は考えた。

音楽を仕事にすると「人気取りゲーム」が義務としてついてまわると考えていたせいで、僕はいつも仕事、とくにプロモーションに対して萎えて萎えてしょうがなかった。そりゃあ音楽以外のことで比較されたら、僕には何にもないよ。どこにでもいる社会不適合のダメ人間だ。意識の高いスターだけがのぼって行けるようなゲームで勝てる要素なんて持ってません。
それでも、

 ♪このままでいいのか? いいわけないだろう…

本当は心の奥でずっと、これが僕の望んだ最高の人生なのかって、もやもやが消えてなかった。自由に音楽ができれば部屋でひとりで喜んでるだけで満足?そんなの嘘だ。それじゃ僕だって、自分に対してインチキになっちゃうじゃないか。

でもじゃあ、あの人気取りゲームをやるっていうのか…?


これまでずっと続いてきたその堂々巡りの中に、何か引っかかるものがあった。

よーく周りを見渡してみる。
そこで僕はやっと、やっと気がついたんだ。

いま僕に関わってくれている全ての人が、無条件な気持ちで僕に接してくれているってわかる。ミュージシャンも、スタッフも、お客さんも、僕が人気取りゲームで得た成果なんかじゃない。たまたま僕を知ってしまったから、ただ僕の音楽や僕という人間を気に入ってくれた。それだけだ。
それはきっと、僕のMTRのデモを部屋で一緒に喜んでくれた友達と同じような気持ちなんだ。

音楽を仕事にするってことは、僕がやりたい音楽を一緒に楽しめる友達にもっとたくさん出逢うってことだったんだ。
少なくとも僕がそう信じてやってれば、それでいい。社会のどこにインチキがあったとしても、僕と僕の友達が一緒にグルーヴすることの楽しさは変わらない。
僕は、僕の音楽がより多くの人に聴いてもらえてない理由を、人気取りゲームで勝てないせいにして逃げていたんだ。なんという弱さ。恥ずかしい。

音楽のプロモーションは人気取りゲームなんかじゃない。
シンプルにただ、もっといい曲をたくさん作って、もっといいライブをいっぱいやれば、一緒に楽しんでくれる人は増えるって信じること。増えないならもっと音楽を磨く。いっぱい音楽をやる。
だってもし仮に、仮にだよ、まだ無名なスティービーワンダーがいま路上で歌ってたとしたら、僕が大ファンになるのに1分もかからないだろうからね。

音楽を仕事にするってことが本当に、より良い音楽をすることや、音楽を一緒に楽しめる友達に出逢うことなんだとしたら、そんなの最高じゃないか!それだったらもっとやってみたい。そしてもっとたくさんの友達に出逢いたい。
そう思ったら、もうプロモーションが全然イヤじゃなくなったんだ。もしどこかで比較され値踏みされたって、傷ついたりしない。
自分に自信が出てきたとか、そういうんじゃないんだ。自分はこのまま、こういうものだって、いい意味で開き直れるようになったんだよね。ゲームに勝つ必要なんかなかったんだよ。しゃべりが面白くなくてはならない、オシャレでイケメソでなくてはならない、空気が読めなくてはならない、みたいなこと義務と思わなくていいと気づいたんだ。もし楽しみながらそういうことができるなら、それもまた良いってぐらいのもんだよね。

 ♪いいんですそのままで

これから、音楽を聴いてもらえるような工夫はいろいろしてみようと思うし、ちょっとしたチャンスでもあればどこにだって飛び込んで行くつもりだよ。どんなきっかけでも僕を知ってくれさえすれば(たとえば僕のいぶし銀な魅力でね、フフ)、最後は音楽で楽しませてみせる、っていう思いが僕にはあるから。


アンジーと話しててわかったんだけど、目標を持たずに生きてきた僕の日々は、すごく漠然としてた。音楽やれてて楽しいんだけど、根がダメ人間だからなんとなく過ぎてしまう日が多くてね。そんなことを話すとアンジーは、「もし森くんの夢や目標が見つかったら、聞かせて欲しいな❤」って言ったんだ(ハートは僕の勝手な脳内変換)。

僕の夢ってなんだろう。10月20日のライブが終わってから、僕はずっと考えてた。「もっといい音楽をやること」っていうのは僕が生まれ持った方向みたいなものでしかない。それだけじゃ一日一日が充実しないまま過ぎてゆくことを止められない。僕のダメ人間ぶりは、ベテランの域に達しているからね。それで、「具体的な数字を伴った目標」って考えたんだ。

ずっと前に、日比谷の野外音楽堂でCharさんのライブを観たんだよね。インストが多いセットリストでさ、だんだん陽がくれていって、Charさんの立ち姿とギターの音色やグルーヴや、そんなの全部をひっくるめて、なんだかすごくカッコいいなって思ったんだ。理屈抜きでね。
アンコールが終わってもお客さんの声が止まなくてさ。いい大人なファンの方々が座席の上にのぼって「Char―――!」って叫んでるんだよ。すごいライブだった。

もしあれが武道館でそれがカッコよく見えたら、僕は武道館を目指したかもしれないけど、あれは、日比谷野外音楽堂だった。
僕もあの場所でライブしたいって、そう思ったのが記憶に残ってたんだ。

僕は自分の目標を詳細に紙に書いて、壁に貼った。それをアンジーに写メールで送ったんだ。アンジーはすごく喜んで、きっと叶うよ!応援するよ!って言ってくれた。
アンジーってなんなんだろう。天使なのかな。Angela………!
あ、そうか、そうだったのか。


今、何百人かの人が、僕の部屋(ライブハウス)で僕の音楽を一緒に楽しんでくれる。音源を通して僕の音楽を一緒に楽しんでくれてる人たちもいる。実際僕はみなさんを親友のように思っているよ。一人で部屋で喜んでた時の事を考えると、みなさんの存在は涙がでるほどありがたい。すごく幸せだ。
だけど、一緒に喜べる同志がまだまだどこかにいるって思うんだ。そういう価値のある音楽を僕はやれてないのかな?どうなんだ、やれてるのか、やれてないのか。知りたい。
愛しい僕の曲たち。そしてこれからの僕の音楽。それが今の社会にどれだけ通用するのか、勝負してみたい。
今ははっきりそう思うんだ。

3年後に(野音のスケジュールもあるので”だいたい3年後”になっちゃうんだけど)僕は、僕がやりたい音楽を一緒に楽しめる3000人の友達と、日比谷野外音楽堂でグルーヴする。
それって最高なことじゃない?

それが、僕の今の目標。

そのためなら何でもやるって決めたんだ。


そして、その先のことを考えたりする。
僕は「より良い音楽をしたい」っていう個人的なことをを少しだけ現実的に考えるとき、「生活の中にもっと当たり前に歌や演奏やグルーヴがあるような、そんな世の中になったらいいな」ってぼんやり願うんだ。

それが、僕の夢。



最後まで読んでくれてありがとうございました。

2014年3月
森広隆
by mori_hirotaka | 2014-03-19 21:12 | 音楽
<< 応援ありがとうございます!! 4月24日から「mellow ... >>